1202年?1204年。ローマ教皇インノケンティウス3世の呼びかけにより実施。エルサレムではなくイスラムの本拠地エジプト攻略を目ざす。しかし渡航費にも事欠くありさまで、十字軍の輸送を請け負ったヴェネツィアの意向を受けて輸送料の不足分支払のためハンガリーのザラを攻略、同じキリスト教(カトリック)国を攻撃したことで教皇から破門される。ついで東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを征服、この際十字軍側によるコンスタンティノポリス市民の虐殺や掠奪が行われた。フランドル伯ボードゥアンが皇帝になりラテン帝国を建国。やむなく教皇は追認し、さらにエルサレムを目指し遠征するよう要請するが実施されなかった。東ローマ帝国はいったん断絶し、東ローマの皇族たちは旧東ローマ領の各地に亡命政権を樹立した(東ローマ帝国は57年後の1261年に復活)。なお、このコンスタンティノポリスの攻防を巡ってはジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン (十字軍側)とニケタス・コニアテス(東ローマ側)という2人の優れた歴史家が記録を遺していることでも知られている。
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1218年?1221年。アッコン王国(エルサレム王国の後身)のジャン・ド・ブリエンヌらがイスラムの本拠であるエジプトを攻略するも失敗。この頃、遙かアジアの彼方から謎のキリスト教国プレスター・ジョンが大軍を率いて十字軍を救出するという情報を聞き、彼らに呼応して挙兵したと言われている。しかし現実にはその大軍が、後にヨーロッパ全土を震撼させるモンゴル帝国の来襲である事を彼らは知るよしもなかった。